八百津町

 岐阜県八百津町は木曽川と飛騨川が合流する地点から上流に木曽川に沿って広がる盆地平野部と、北東にのびる木曽山脈に連なる山岳地帯からなる自然に恵まれた農山村地帯です。

常夜灯
黒瀬湊常夜灯

 取材のスタートは江戸時代から明治時代にかけて木曽川最上流の湊があった黒瀬湊でした。当時の八百津の交通手段は舟運であり、その基地となった黒瀬湊は物流の拠点として繁栄しました。
 湊には今も文政5年(1822年)に建てられた常夜灯が残っており当時の面影を残しています。荷揚場であったと思われるコンクリートのスロープからは昔のままに商店街の町並みが連なって延びており、白壁と土蔵の残る通りもあって、往時の賑わいが偲ばれました。
 現在は八百津町内を流れる木曽川には丸山ダムと兼山ダムが造られており、運搬・交通手段は川から道路に移り町の繁栄は記憶に残るのみとなりました。

湊
黒瀬湊

 地元で会った老人は父親がここから舟で名古屋までよく遊びに行ったものだと懐かしんでいました。また八百津の地名は「津が800カ所もあったから」と説明してくれました。
 広辞苑によりますと「津」とは「船舶の碇泊する所。ふなつき。港」とあり、「八百」とは「数のきわめて多いのにいう。」とありますのでこの説はあながち間違ってはいないようです。
 黒瀬湊から少し上流には錦織綱場跡があります。木曽の山から切り出された木材は一本一本、木曽川を流れ下り、ここで綱で捕捉されて筏に組まれ桑名を経由して名古屋の貯木場まで運ばれたとのことです。
 この対岸にある旧八百津発電所資料館には再現された筏が展示してありました。

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旧八百津発電所資料館

 旧八百津発電所は明治44年(1911年)に木曽川水系初の本格的な発電所として建設され、昭和49年(1974年)新しい丸山発電所が完成し閉鎖されるまで63年間産業の近代化に貢献してきました。

旧八百津発電所
旧八百津発電所

そして平成10年(1998年)、日本の水力発電の歴史を物語る貴重な産業遺産として国の重要文化財に指定され、内部が資料館として一般公開されました。
 この発電所は現在主流のダム式ではなく水路式で、9.7km上流の取水口から山間部を開渠、暗渠、水路橋などで送水し、河川勾配による落差を得ていったん貯水槽に蓄えた後、鉄管4本で発電所へ落とし込み、4つの水車を回転させて発電する方式でした。


放水口発電所
放水口発電所

 資料館の1階には大きな水車とそれに直結した発電装置が展示されていて圧巻です。機械の仕組みがわかるように展示が工夫されており、専門外の一般の人たちも興味を持ってみられると思います。
 また、本館の外にも川との間に小さな発電所があります。電力需要が増加した大正6年(1917年)に本館の放水口から出る落差7mの水を再利用して発電する装置を設置したもので、当時のまま残されています。小さな機械ですが少しのエネルギーも無駄にしないで使い切るという発想で、先人達の工夫に感動をおぼえました。
 資料館は発電所としての変圧器、碍子などをそのまま活かしながら日本の電力産業史、郷土の考古学資料から人々の暮らしの歴史などを展示してあり、外観の風格あるヨーロッパ風の建築と相まって歴史を感じさせる雰囲気のある所でした。

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杉原千畝記念館

杉原千畝記念館
杉原千畝記念館

 八百津町で是非訪れたいのが杉原千畝記念館です。第2次世界大戦のさなか、八百津町出身の外交官、杉原千畝がリトアニア領事館勤務時代にユダヤ人へのビザ発給により約6千人の命をナチス・ドイツから救ったことはよく知られていますが、その業績をたたえ人間愛の記録を後世に伝えるために八百津町は平成12年(2000年)記念館を設置しました。


人道の丘
杉原千畝記念館より

 記念館の展示を見て改めてその偉大な行為に強い感銘を受けました。
 記念館は町を見下ろす「人道の丘」と名付けられた小高い丘の上に建てられていて、周囲は広大な公園として整備されており、子供広場などもあって家族連れで歴史の勉強する絶好の場所だと思いました。


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