御嵩町
八百津町の南に隣接して御嵩町があります。木曽川の支流、可児川が町の中心部を東西に流れ、木曽川には町の西端と北東端で接しています。
|
丸山ダムは左岸が御嵩町、右岸が八百津町という位置関係にあります。
御嵩町は旧中山道宿場町として栄え、歴史を感じさせる建物、史跡が多く残っています。
現在の名鉄広見線終点、御嵩駅付近には「大寺山願興寺」、「御嶽宿本陣」、「商家竹家」と旧中山道沿いの当時の面影を偲ばせる建物が並んでいます。
願興寺は弘仁6年(815年)、天台宗の開祖最澄によって創建されたといわれる古刹です。2度の兵火により焼失しましたが本尊薬師如来はじめ24体の諸仏は難を免れ、現在は国の重要文化財指定を受けています。
|
現存する本堂はその後天正9年(1581年)地元の民衆が板一枚、柱一本を持ち寄って再建したものです。
本堂は大きくて大変立派な建物ですが、民衆の力によって建立されたものである特徴が随所にみられます。
(以下、 願興寺公式サイトから引用)「まず、本堂正面と背面の造りが著しく違うということです。正面は立派な体裁を整え、背面はなんら装飾もない造りとなっていること、さらには、部材も様々で欅あり松ありと不一致。加えて曲がりくねった柱材の使用という点が代表的な例です」。
|
本堂の外周は広い回廊がとなっていて四方から参拝できる構造になっていますが、その床板はかなり老朽化が進んでおり、造作も雑なところが見られ、素人が張ったのではないかと実感できました。
地元では「蟹薬師」と呼ばれて広く親しまれており、蟹にまつわる昔話が伝えられております。これについては「水の伝説―願興寺と大寺瞽女」のページで紹介しております。
御嶽宿本陣は江戸時代の大名や公家が宿泊・休憩する施設として利用されており、当時の面影を残した立派な門(復元)や貴重な資料が残されています。内部公開はしていないようでした。
|
商家竹家は豪商の店舗を兼ねた住居で、入り口に店舗、奥に居住空間があり、今は資料館として無料で内部公開されています。現在で言う総合商社の先駆け的な存在で、金融業をはじめとして繭、木材、綿布などを取り扱っていたようです。質素ながら風格のある主屋の奥には茶室や土蔵が造られており、随分奥行きの広い屋敷で驚かされます。