長野県西部地震
[御嶽山(3063m)と崩壊の全貌] [拡大写真] |
最近、諸所で地震が多発しており、また東海地震等の話題もあり市井の関心が高まってきております。
木曽川に関係した地震では、大規模なものとして「長野県西部地震」は忘れることのできない地震として記憶されている方も多いこととおもいます。
昭和59年9月14日に発生した同地震(M:6.8)により木曾御嶽山の南面に大規模な岩屑なだれが起こり山小屋や家屋を倒壊させ、土砂は御嶽山の南を東に流れて木曽川へ流入する王滝川を堰止め、そのため上流の滝越地区が孤立することになりました。
被害は行方不明を含む死者29人。建物は全半壊、流失等110棟であり、その内、全壊の全て14棟は地震の振動によるものではなく、土砂崩落によるものでした。
崩壊土砂量3,600万立米と推定されていますがこの量は、10トントラック1,000万台分に相当するものであり、また牧尾ダム湖の容量6,800立米の50%余りになる膨大な量でした。当然、地震によりダム湖の堆砂量が大きく増加することが予測されています。
[2009年12月 現在の状況] |
[地震図面] |
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地震発生直後の状況は下記の通りでした。
牧尾ダム湖(御岳湖)左岸の県道には亀裂が多数あり通行止めで、ダム工事用トンネルを径由しての右岸道路が通行できました。
しかしダム湖の上流、氷ケ瀬では道路が崩落し、前方のトンネルを大量の水が流下しており、王滝川へ大量の土砂が流入しているものと推察されました。
その上流の滝越地区は孤立し、道路復旧まで物資の輸送をヘリコプターに頼ったとのことでした。
数年後、王滝川は大規模な復旧工事が進められていましたが、氷ケ瀬の上流は堰止め湖となっており、水中の立木には未だ緑が残っていて、カヌーをあやつる人が見受けられました。
滝越地区では、地震の跡は殆んど見当たらないまで復旧しており、観光客のためか岩魚の養殖が盛んで魚影を追う子供も見受けられました。
滝越地区から御嶽山南面の中腹を牧尾ダム方面へ続く林道では所々崩落が見受けられましたが、特に大規模な岩屑なだれの起きた濁川への降り口から北東に見える尾根では、隣の渓谷から濁川へ崩れてきた岩屑なだれに削られた尾根の跡が遠望できました。
地震発生時、山小屋を埋め尽くした濁川は、巾約200m位の広い斜面となっており砂防堰堤が階段状に造られていました。
未だ、この渓谷のどこかに行方不明の方がと思う時、地震の前は深い渓谷で鬱蒼とした山林であったものを変えた自然の脅威をまざまざと見せつけられたところでした。
地震発生から25年経過した昨年12月、当ホームページ作成のメンバーで現地を訪れました。
当時の復旧・整備と25年の経過により震災の跡は、全く窺うことができませんでした。
「自然湖」と名付けられた堰止め湖の枯れた立木が静かな水面に影を落とし、付近は散策路になっていました。
[2009年12月 現在の自然湖] |
岩屑なだれで王滝川を堰きとめた濁川沿いの林道を約1時間歩き、「来世紀の森」の整備工事を見ながら着いた展望台からは、所どころ雪の見える御嶽山頂上直下からの崩落斜面や復旧の跡等の雄大な光景が望めました。
過去の災害を記憶に留め、改めて 死者11人、行方不明18人の方の冥福をお祈りいたします。
[2009年12月 現在の状況] 参照:日本被害地震総覧(宇佐美龍夫著) |