美濃市
お姫の井戸
長良川上流の旧美濃橋の下に、大巻の淵とよばれるところがあります。
井戸を汚せば雨が降る!
思い詰めた五兵衛は、井戸で不浄な板きれやごみを燃やしたのです。
美濃市は400年ほど前、「上有知(こうづち)」といわれ小倉山城の城下町でした。 写真をクリックすると拡大します。
昔は上流の激流が川の中の大岩にぶつかり、いくつかの大渦巻きをつくる淵となっていたからです。
むかし大巻には龍神が住み、井戸にはその姫が住むと言われ、いつもきれいな水がたたえられていました。そして井戸をよごすと龍神の怒りに触れ大洪水になると言い伝えられていました。
ある時、この地方は大干ばつにみまわれ、村を挙げての雨乞いも効果が無く、田畑の作物はほとんど枯れてしまいました。
思案に暮れる村の庄屋五兵衛の頭に、お姫の井戸のことが浮かびました。
翌朝、黒雲を引き裂くような雷鳴がとどろくと、激しい雨が降り、3日3晩降り続きました。長良川は大洪水となり、各所で堤防が切れ、家や田畑が濁流に沈みました。
龍神の怒りをおさめるため、五兵衛は濁流に身を投げたらしくその後姿が見えなくなり、雨はようやくやみました。
それ以来、村人たちはお姫の井戸にしめ縄を張って清浄を誓い、毎年8月1日には、龍神と五兵衛をまつる川祭りを上有知湊(こうづちみなと)(次項参照)の舟すべてに献灯をかかげ、盛大に行いました。
地元では、今でも毎年8月1日にはしめ縄を新しく張り替え、川祭りとして河原では花火大会も開催されています。【現地の説明板から要約】
取材に訪れたのは夏の終わり、暑い日でこの岩場では若者たちが水遊びに興じていました。
聞くところによると、お姫の井戸は竜宮まで続いているとの言い伝えもあるそうです。
取材時は、井戸には川の水位よりかなり高い位置に水をたたえておりましたが、雨水や川の増水時の残り水のようでした。
当時とは川の流れが変わっており、瀬も淵もない静かな流れになっており、周囲も開放的な環境になっていておりました。
お姫も井戸にまつわる伝説がここで紹介した他にもあることから想像すると、当時は今よりもっと神聖な雰囲気の中にあったのではないかと感じました。
上有知湊
町の西端を流れる長良川畔には上有知湊があり、ここはかってこの地方の物資輸送の拠点として栄え、特産の和紙などを積んだ川船が遠く桑名あたりまで往来したということです。
この湊も鉄道の開通とともに廃れ、今では川岸に立つ灯台や石段などが残されているのみです。現存する川湊の灯台は全国的にも珍しい建造物です。