揖斐川町

 岐阜県揖斐郡揖斐川町は、平成17年に旧揖斐川町と谷汲村、久瀬村、春日(かすが)村、坂内村、藤橋村が合併してできた自治体で、揖斐川本流の最上流域をかかえる町です。名古屋市が水利権を持つ徳山ダムも揖斐川町の中にあります。

【念仏池】

 揖斐川町の東部、旧谷汲村には、西国三十三観音巡りの第三十三番札所として有名な谷汲山華厳寺があります。満願霊場として昔からたくさんの巡礼者が参拝に来るお寺です。参道に至る巡礼道に「念仏池」と呼ばれる池があり、その名の由来にまつわる伝説があります。

念仏池
念仏池

 むかし、念仏池のあたりには大きな深い淵があり、御倉が淵と呼ばれていました。淵には土橋があって、谷汲山へお参りする巡礼さんたちが念仏を唱えながら、この橋を渡っていきます。もう少しで満願霊場にたどりつける、今までの苦労が報われると、唱える念仏にも力が入り、心がこもります。すると不思議なことに、念仏を唱える声に合わせて、水の底から「仏仏(ぶつぶつ)」と水の音がこたえます。巡礼さんをはげますように「仏仏、仏仏」と。
 やがてこの話が時の高倉天皇に伝わると、天皇は使いの者をよこして調べさせ、ありがたい池だ、その池の名前を「念仏池」とするがよいと言われ、その名が付いたという。


谷汲山
谷汲山華巌寺

 また別のいわれも伝わっています。
 昔、花山法王が谷汲山に参られた帰り道、ここで休んで念仏を唱えられていると、水が「仏仏」湧き出てきました。このことからこの池を「念仏池」と呼び、お堂を造って地蔵さまを祀ることとしたそうです。
   深く大きかったであろう念仏池も、いつしか埋め立てられ、今は小さな池が残るばかりでした。池の中央にはほこらが建ち、赤い橋が架けられていました。
 村では、今も毎年8月にはここで地蔵さまのお祭りをし、また渇水の時にもこの池は水を満々とたたえ、農業用水に利用していると看板に書いてありました。

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さざれ石公園(君が代発祥の地)

 揖斐川の支流粕川を西進すると旧春日村の地域に入ります。粕川の支流長谷川を南へさかのぼり、伊吹山スカイラインの東麓に当たるところに「さざれ石公園」がありました。揖斐川町役場から車で30分ほどかかります。案内看板に従って県道から小さな谷に入ります。

さざれ石公園
さざれ石公園

公園の駐車場から山道を少し登ると、ちょっとした広場があって、しめ縄を張った大きな岩が2つ並んでいました。近寄ってみると、確かに大小の石がくっついて岩となっている様子がよくわかります。
 この石は、学名石灰質角礫岩といい、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が、次第に小石を凝結、だんだん大きくなり、河川の浸食により地表に露出、苔むしたものです。

 この石にまつわる次のような話しが伝わっています。
 平安時代、文徳天皇(在位850~858年)の皇子惟喬親王(木地師の祖神)に仕えた藤原朝臣石位左衛門(歌人)が、江州(滋賀県)君ヶ畑から木地椀の良材を求め春日村に移り住み、君ヶ畑に通う途中、ここで自然に凝結、苔むして巨岩になっている珍しい石の状態を見て、ありのまま「わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」と詠んだのが、この岩であり、千代に栄えることを希っためでたい岩であるという。


さざれ石
さざれ石

 この和歌は、平安前期(10世紀の初頭)に勅撰(ちょくせん)された『古今和歌集』巻七冒頭に、詠み人知らずとして載せられています。これが、明治の始めに国歌「君が代」の歌詞の元になったことから、この地を、君が代発祥の地、と呼んでいるようです。

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