名西幹線建設の顛末記

 名古屋市水道局の名西幹線の計画は、第八期拡張事業計画にはなかったが、昭和50年代に、名二環(国道302号線)の建設が始まったころ立案されたものである。
 当時、徳山ダムや長良川河口堰の水源の取水位置が明確でなく、万一下流で取水しなければならなくなった時や、災害等の緊急時には、春日井、大治浄水場相互の融通が必要ではないかと考え、両浄水場を連絡するための幹線として急遽計画したものである。

名西幹線管路図
名西幹線管路図

 名西幹線は大治浄水場から出て名二環を北上するように布設されているが、この区間では弥生時代の遺跡が出土したため、発掘調査が行われ現場では工期が遅れるなど苦労をしていたものの、大きな問題もなく完成した。
 その後、さらに西区貴生町あたりから東に向かって布設するため、昭和59年頃、建設課の用地担当者が建設省の国道事務所と折衝を始めたところ、国道事務所の担当官が「漏水したり破裂するような水道管は、国道に直接布設はさせない。」と言っているという報告があった。
 名二環にはすでに管を直接布設してきた実績もあるし、布設する鋳鉄管も重車両による荷重に対しても対応出来る管であり、担当官が替わっただけでこれまでの方針と違うことはおかしいので、十分説明するようにと言っていたが、どうしても納得してもらえないというのである。
 この折衝の中で、国道事務所の担当官から明らかになってきたことは、過去に国道事務所が国道を建設するため水道局と折衝した時の問題に及んだのである。

名古屋水道地図
名古屋水道

 国道事務所が名古屋から岐阜県高山方面への国道41号線を建設した時、犬山系導水路と国道41号線が交差する扶桑町南新田地点の水道用地を占用するため、この導水路を管理する春日井浄水場と折衝した時の事であった。

導水路航空写真 yahoo地図より導水路地図 yahoo地図より

   国道事務所の担当官が、春日井浄水場の担当者と折衝した時、当時の担当者は「国道は重車両も多く振動も激しいので、継ぎ手から漏水したり、管が破裂する恐れがある。この導水路の管には200万人の生命がかかっているので、平面交差ではだめだ。橋をかけて立体交差にしてもらえなければ占用は認めない。」という強硬な意見だったようである。
 当初、国道事務所は従来の慣例から道路と導水路の平面交差で計画していたので、立体交差に変更すると予算から見直さなければならなかったようだ。
また、交差も直角に交差していれば、導水路の幅員だけで済むが、道路と導水路は斜めに交差しており、それに合わせて橋を造れば斜橋となり相当長い橋となる。

国道写真
国道41号の橋(左:導水路、右:川)

 また、橋の下にある程度クリアランスをとると道路自体も橋の前後で盛り土が必要になる。この予算獲得には国道事務所も相当苦労したようである。
 こうした事もあり、水道管は道路の車両の加重や振動等により破裂などの恐れがあることを水道局員が明言していたので、絶対直接布設は認められないということのようだ。
 これらの事情から、折衝の結果、それ以後の名二環に布設する水道管は共同溝に入溝して布設せざるを得なくなったのであり、建設担当者としては布設費用の負担が増加するので、悔しい思いをしたものである。

 名古屋市水道局には、犬山系と大治系の二系統の導水路があり、国道、県市町村道と多くの地点で交差をしているが、国道41号線より後で建設された国道19号線の春日井市瑞穂通りの交差部も含め、すべて平面交差となっており、立体交差になっているところはここしかなく特異な交差地点となったのである。
 将来、数十年後には導水路を布設替えする時期が来るであろう。その時にはこの交差部は道路交通に支障なく工事ができ、それを担当する局職員は将来を見越した対応がなされていることに、先輩の中に先見の明があった職員がいたと称賛するだろう。
 しかし、このために犠牲になった部分もあったことを知ってもらいたいと思い、ここにいたる事情を書いた。
 だが、冷静になって考えると、共同溝に入溝したために水道管が従来のような荷重を受けることなく、耐用年数が伸びるかもしれない。そうであればすべてが損失であるとは言えないことになる。一方、共同溝の老朽化による耐用年数も未知であり、何が最善であったのか、この結論が出るのは今後100年を待たなければならないかもしれない。

                            栗田資夫

 

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