水の小径の誕生秘話

 昭和59年10月19日に名古屋市水道通水70周年記念事業として、水の小径が完成しました。この小径の誕生には次のような秘話がありました。
 鍋屋上野浄水場から東山配水場に浄水を送る送水管の用地の東側は、配水管用地として確保された国有地でした。

水の小径
水の小径

 それは明治40年に名古屋市水道の水道布設事務所が出来たのですが、供給開始前の明治42年に陸軍の第三師団から守山にあった騎兵第3連隊(現自衛隊守山駐屯地)に陸軍の費用負担により水道を給水するよう依頼されたようです。
 そして、陸軍が送水路の東側と浄水場から犬山へ延びる導水路に隣接した用地を廿軒家小学校前あたりまで、さらにそこから導水路を離れ騎兵部隊の近くまで買収し名古屋市水道に無償貸与されていました。
 したがって、騎兵部隊への給水管(径250粍)は東山配水場から四観音道を通り、天満通りを横断して、送水管路の東側を通過し、鍋屋上野浄水場内を通って、犬山からの導水路に隣接した配水管路から廿軒家小学校前で専用道路に出て駐屯地まで布設されていたのです。

水の小径
水の小径

 給水開始当時から、守山市が名古屋市に合併した昭和37年まで給水区域以外に給水していたのか、軍隊への給水が特例であったのかはよくわかりません。また、水道料金などもどのようになっていたのでしょう。
 これまで、10年ごとに名古屋市水道史を出しておりますが、これらの事実について述べられたことは一度もありません。近く、名古屋市水道の給水開始100周年を迎えるにあたり、事実を検証することも必要ではないでしょうか。
 昭和の初めになって騎兵部隊への給水は鍋屋上野浄水場のポンプで給水するようになり、送水路の給水管は一般の給水管として使用されていたようです。
 終戦後は、陸軍用地は大蔵省管理の国有地になり、東海財務局に所管がうつされました。そして、定期的に東海財務局の実地監査をうけていたのです。
 この実地監査のたび毎に、用地に隣接した住宅が裏庭として利用していたり、小屋などがはみ出していた所があったため、東海財務局から度々善良な管理を求められていました。

水の小径
水の小径

 管財課は、このままでは送水路の管理が十分に行うことが出来ないのではないかと危惧し、昭和57年頃、今後の対策を如何するか局議にあげました。
 局議では、用地にフェンスを張り巡らすか、公園として施設を整備し、一般の住民に開放することで用地の管理を行なうか二つの方法が議論されました。
 すでに導水路(原水を運ぶ管路用地)については、名古屋市緑道整備基本計画にもとづき「すいどうみち緑道」として農政緑地局が整備をしている区間もありましたが、送水路(浄水を運ぶ管路用地)については浄水場と同様に衛生的に保つという観点から、一般の用に供することには消極的でした。
 しかし、新しく一般部局から水道局長になられた渡辺局長はそういった抵抗もなく、送水路に隣接する二箇所の公舎用地を含めて公園として開放したほうが良いという判断でした。
 そして、水道局の施設ですから公園として開放するからには、水に触れ合う施設が良いのではないかということで、建設部で検討することになったのです。
 建設部では、建設課と施設課の両課で検討ことにしましたが、建設課は送水路の地形が南のほうが高く浄水場に向って下っていたので、配水場のほうから浄水場に向って流れる川を提案しました。
 施設課は、この公園は浄水場側が入り口であり、水が入り口に向って流れるより、入り口から流れ出ていくのが筋ではないか、送水路の北端の部分を北の公舎用地の高さまで嵩上げすれば、南の公舎用地まで流すことができ、さらに南の公舎用地に流水の循環ポンプ所を設置するなどできて、公舎用地が有効に利用できることなどと主張していました。 施設課の案ですと、川の長さが送水路延長の三分の一程度で若干物足りないと言う意見もありましたが、全体を川にするとかなりの金額になり、施設課案でも十分水に触れ合うことが出来るとの判断で施設課案になったものです。

水の小径
水の小径

 また、鍋屋上野浄水場の見学者がこの施設も利用できるように、茶屋坂通に歩道橋も設置することにしたのです。
 その後、通水70周年を迎えることから、局内の通水70周年記念事業に関する企画委員会で記念事業として実施することになり、浄水課長が委員長になって局内調整が行なわれました。
 この結果、上流側を水源と位置づけ、循環ポンプ所を設置する池を浄水場に見立て、そこにろ過層の模型を置くことにしたり、公園に桧などの木曽五木を植えたり、鍋屋上野浄水場の古いレンガを使用することなどのアイデアが出されました。

水の小径の最上流部
水の小径

 また、この緑道は公園として農政緑地局に管理をお願いすることから、公園担当と協議をしたところ、この川は小さな幼児も遊ぶので、倒れても溺れないような水深にするよう求められたため、せせらぎ程度の川になってしまいました。
 一方、管財課では住民折衝を行い用地の調整も出来たため、工事に着手することが出来ました。
 公園施設のオープン後、鍋屋上野浄水場で取れた小魚を放流したところ休日には大勢の腕白小僧で賑わいましたが、これも川の中で転倒でもしたら危険だという意見におされ、二、三回で中止してしまいました。
 しかしながら、現在では「水にふれあう」ということは、自然の川に近いものを造り、危険も察知できる教育ができるような川のほうが良かったような気がしないでもありません。  なお、これらの国有地は平成11年に公布された「地方分権の推進をはかるための関係法律の整備等に関する法律」により、国有財産特別措置法が改正され、平成17年に名古屋市に無償譲渡されています。
                     

栗 田 資 夫

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