日本の下水処理の先駆けとなった堀留下水処理場
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大正時代の初期には、大都市の市内河川の汚染が目立ち始め、大都市ではいっせいに下水処理の実施に向けて検討が始まりました。
そのような時期に欧米で考案された活性汚泥法(当時は促進汚泥法と呼びました)の情報が我が国にもたらされ、当時の担当者たちは大いに興味を持ちました。
昭和3年7月建設工事着手 |
大正13年から名古屋市、14年から大阪市、15年から東京都が相次いで実験を開始しました。
実験の結果、処理成績が良好で清澄な処理水が得られことがわかり、下水処理場の建設が始まりました。
名古屋市では、昭和5年に堀留・熱田の両処理場が処理開始しました。昭和9年には東京(三河島増設)、15年には大阪(津守・海老江)が処理開始し、名古屋市が少しの差で日本での第1号として歴史に残ることとなりました。
1913年(大正2年)に英国で考案された活性汚泥法が、わずか10年で我が国に導入され、実用化されたと言うことは驚くべきことです。
情報量が現在とは違い格段に少ない当時に欧米の文献を入手して、まさにむさぼるように読んで実現させたこの時代の技術者たちの意欲、努力は大変なものでした。
堀留処理場は、このほかにも現在に通じる新しい創意工夫が施されていて、先輩達の先賢の明には感服させられます。
現在の堀留水処理センター |
昭和39年、この施設は名古屋市の100メートル道路計画にかかり、道路になる部分の覆蓋や排気筒をとりこわし、橋が処理場をまたぐこととなりました。
また隣接の公園地下に新しい処理場が建設されて処理機能はそちらに移りましたが、歴史の証人としてひっそりと時代の移り変わりを眺めています。