神戸町

【夜叉ヶ池伝説】

 夜叉ケ池(標高1100m)は滋賀県、福井県、岐阜県の県境にある三国岳(標高1209m)山頂から北に延びる福井県、岐阜県の県境稜線に位置する周囲230mの池です。
 池からの流出河川は無く、伏流水として揖斐川、九頭竜川、高時川に流れ出ているといわれ、池の水は年中涸れることはありません。

夜叉ヶ池
夜叉ヶ池

 夜叉ケ池は夜叉姫伝説でよく知られており、その感動的で悲しい伝説は泉鏡花によって戯曲化されてたびたび舞台で演じられ、映画にもなっています。
 最近では平成8年、御園座開場100年記念として浅丘ルリ子主演で上演されました。

夜叉ヶ池
夜叉ヶ池

 およそ1200年前、夜叉姫の父である美濃の国安八郡の郡司・太夫安次公は桓武天皇に仕え、その命を受けてこの地・平野庄に居住して一郡を治めていました。ならびなき富貴者であり徳望も高く、人々は「安八太夫」と呼んでいました。
 ある年のこと、美濃国は大干ばつに見舞われました。春から夏にかけて一滴の雨もなく、田畑の作物も枯れ、領民の飲み水も涸れ果ててしまいました。必死の井戸掘りも神仏への願かけも効果がなく、領内は修羅地獄でした。
 ある日、万策尽きた領主太夫安次は疲れ果てて、たそがれ時に田の畔道にでておりました。そこにはい出た一匹の小蛇に向かい、思わず「そなた精あれば天に上って雨を降らせよ。この願いを叶えてくれるならば褒美として、私の3人の娘のうち一人をお前に差し遣わそう。」と言うと、小蛇は枯れた草むらのなかに消えていきました。


夜叉ヶ池
奥の宮夜叉神社

 その夜、にわかに黒雲がわき、風が起き、雷鳴がとどろいたかと思うと大粒の雨が乾ききった大地に降り注ぎました。降り続く雨は田畑をうるおし、草木を生き返らせ、涸れた泉も湧き出るようになりました。
 領民が村中総出で慈雨の祝宴を開いていると、一人の若武者が現れ、太夫に向かって言いました。
 「私はいつぞや道端でお目にかかりました小蛇です。実は美濃の山奥、越前との国境にある美越(みこし)の池に住む龍神です。あなたが雨を降らせよと願をかけられましたのでそれにこたえて雨を降らせました。お約束通り娘様をもらいに参りました。」
 太夫は大いに驚きましたが、約束ですので娘たちに一部始終を聞かせましたが誰も申し出るものはなく、ただ泣きくれるばかりでした。
 しばらくして二女の夜叉姫が泣き濡れながらも強い決意で「私が参ります。」と申し出ました。
 たくさんの里人に送られて杭瀬川(揖斐川)の流れの中へ龍神若武者とともに跳び入り、上流へと上り美越の池にたどりつき、そこで龍神となった姫はいつの世までも人々を守り続けて静かに住み続けることになりました。
 世の人々はこの尊い夜叉姫の名をとって美越の池を“夜叉ヶ池”と呼ぶようになりました。

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石原伝兵衛

日吉神社
日吉神社

 この伝説の安八太夫の子孫が、安八郡神戸町(ごうどちょう)に住んでおられる石原伝兵衛さんであると伝えられています。
 石原家の家長は歴代伝兵衛を名乗り、現在は安八太夫から第47代目に当たる伝兵衛さん(本名石原傳明さん)が当主です。
 昭和56年三国岳山頂付近の夜叉ヶ池に石原伝兵衛家の尽力により奥の宮夜叉神社が造営され、以来、現在に至るまで毎年7月には池の端において鎮魂祭がおこなわれております。
 現在この鎮魂祭の司祭を務められる石原傳明氏にその伝説、今に伝わる行事などについて取材するためご自宅に伺いました。


夜叉堂
夜叉堂

 安八太夫は美濃平野庄の領主として比叡山延暦寺開山の傳教大師(最澄)とともに神戸町に天台宗寺院として善学院を発足させ、また大師みずから彫刻されたご神体をまつる日吉神社を建立するなどして、現在でいう町おこしに努めたとのことです。
 ちなみに毎年5月に行われる日吉神社の祭礼は7つの神輿を中心とする勇壮絢爛なお祭りで古代格式どおりに執り行われ岐阜県重要無形民俗文化財に指定されております。平成29年(2017年)には1200年祭がおこなわれます。
 戦国時代になって美濃国では土岐氏が斎藤氏と争って滅びました。後の太夫一家は土岐氏と命運を共にして野に下り、田園に居住したそうです。その後、近世末までは幕政の末端の名主、庄屋となって郷土のためにつくしたとのことです。


夜叉姫の碑
夜叉姫の碑

 身分制度の厳しい封建時代にあって、石原家は一庶民でありながら大垣藩からは手厚く処遇されました。それは「夜叉龍神の祈願の司祭の家」として広く世間から敬われていたことと、「郷土の氏神・日吉神社の祭事の司祭の家」という特別な格式をもっていたからです。
 この時代、神戸村は大垣藩でありながら、石原家は尾張藩と微妙な関係にありましたが、大垣藩古記録によると雨乞い祈願を幾度も石原家に依頼したことがわかります。
 その後も明治、大正、昭和の時代にも干ばつになると近隣の農民の祈願依頼にこたえて夜叉ヶ池に参向した記録があります。
 神戸村から夜叉ヶ池まではおおよそ70Km、3日がかりの行程で沢渡り、絶壁登りの難所があり、参拝することも命がけだったようです。
 お話を聞いた神戸町の石原家邸宅は500坪の敷地内に母屋とご自身で設計されたという立派な庭園を構えられ、安八太夫と夜叉姫の碑、夜叉姫観音を祀った池、夜叉堂、資料館も作られ、全国各地からの参拝者も多いそうです。
 近年新築された本邸の長押には槍、長刀、陣笠が掛けられていてさすが1200年前から続く家柄の重みが感じられました。


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夜叉ヶ池

 取材班は石原氏にお話を伺った後、昔雨乞いのため山を登った人々の足跡をたどり夜叉ヶ池に向かいました。
 現在は道路もかなり整備され、車で登山口まで行くことができるので当時とは全く状況が違いますが、その道のりの一部でも体験できることを願いながら。

夜叉姫の館
夜叉姫の館

 登山口に最も近い宿、「夜叉姫の館(揖斐川町坂内川上)」に宿泊し、早朝の登山を目指しました。前日には台風が去り、台風一過の晴天を期待しましたが、あいにく低気圧が残り、すっきりしないお天気。名古屋では晴れていてもこのあたりは時々驟雨に見舞われるそうで、夜になって雨の音がし始めました。
 翌朝、まだ雨は続いており、登山は断念しておりましたが、待つうちに晴れ間が見え始め、山もよく見えるようになったので、とりあえず、登山口となっている駐車場まで行って様子を見ることに。
 宿を出発して15分ほどで登山道まで7Kmの標識が。そこからは沢沿いのとても狭い道で車のすれ違い不可能な山道。一応舗装はされておりますが雨の後のせいか小さな落石がところどころに散らばって運転に神経をつかいます。宿から約35分で鳥居のある駐車場に到着しました。


夜叉ヶ池登山口
夜叉ヶ池登山口

 登山口からはすぐ沢渡が始まっており、やはり前日の雨で増水しており、岩場も濡れて滑りやすくなっておりました。平均年齢70歳を超える取材班は危険を察知して無理はしないことに。前日お話を伺った石原さんからも登山中に滑落者が出た話を聞いており判断に迷いはありませんでした。
 駐車場からみる周囲の山々がふもとでは見られなかった美しい紅葉をしており、それを見られたことに満足して夜叉ヶ池探訪は次の機会に譲ることにして山を降りました。


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