戦中・戦後の水道オムニバス
私が水道局に就職した昭和30年代前半の頃には、戦前から戦後の混乱期に水道局に奉職していた先輩たちが多く残っていた。
彼らはその時代の経験や苦労をつぶやいていたが、何となく耳に残った事柄を思い出して検証してみた。
その1 鍋屋上野浄水場への爆撃
鍋屋上野浄水場に第四期拡張事業で建設した沈殿池のクラリファイアはアメリカのドル・オリバー社ものであったようだ。
そうした事からアメリカは鍋屋上野浄水場の存在を知っており、クラリファイアに命中させたのだという事をまことしやかに話す人がいた。
名古屋空襲は昭和17年のドーリットル空襲が最初で、20年のエノラゲイによる八事日赤付近に投下された模擬原爆パンプキン爆弾を最後に大小延べ63回の空襲があった。
このうち、三菱重工業名古屋発動機製作所大幸工場への爆撃は昭和19年12月13日の爆撃を始め7回の爆撃で、2600トン余りの爆弾を投下され工場は壊滅した。
鍋屋上野浄水場はこの工場に西側と北側が道路を挟んで隣接していたので、当然この工場の爆撃の際、浄水場も当然被害を受けている。
何時の日の爆撃によるものか解らないが、米軍による1000フィート上空から撮影した爆弾の命中箇所の写真では確かに西側の丸形沈殿池に命中しているように見え、角形沈殿池の近傍、急速濾過池の西端、緩速濾過池にも数発落ちている。
しかし、B29による爆撃は水平爆撃いわば絨毯爆撃で特定の物を狙ったものではなく、広い工場に投下していくものなので偶然だったのだと考えるのが正しいと思う。
因みに、この日の爆弾は約170発投下されているが工場敷地内に命中したのは、約57%しかない。
現在、ドル・オリバーなるアメリカの水処理会社は、日本の三機工業がドル・オリバー社をはじめ多くの会社を買収し、OVIVO社を設立し、三機工業の子会社として事業を引き継いでいる。三菱重工業にでも買収されていれば何か因縁話のようで面白いのだが。
その2 戦後の鉛管回収作業
名古屋空襲によって市内全域にわたる給水装置の損傷が水道全被害の大半を占め、漏水率は80%に及ぶものと推定された。
水道局では出先の検針員も含め総力を挙げて、漏水防止を目的に止水栓の停止、止水栓発見の困難なものについては鉛管を叩きつぶして止水を行った。
こうした応急漏水防止作業と同時に焼け跡の不用給水装置すべてを対象に、戦後物資不足を補う目的で昭和21年2月から鉛管回収作業を行った(水道百年史)。そして、回収した鉛管は鍋屋上野浄水場にあった鉛管製作所で再生して水道の復興に寄与した。
ところが、敷地内の鉛管等については、私有財産だと主張する住民もいたようで、困った職員は、「これは進駐軍の命令だ。」とか「マッカーサー司令部の指示だ。」と言って上手くかわしたと自慢していた人がいた。
しかし、水道百年史を見るとそれだけでは対応が難しくなってきたのか、昭和22年10月には名古屋市告示をもって、罹災給水栓で使用見込みのないものは撤去する旨告示をして、すべて回収したとしている。
今考えると、こうした告示だけで私有財産を没収できるものか疑問もあるが、戦後の混乱期でもあり、住民の権利意識も弱かった時代だけにこうした事が出来たのだろう。
その3 輜重兵(しちょうへい)
戦時中、中国戦線に応召したHさんは、水道局に勤務していたので良かったとよく言っていた。
中国戦線に行き水道局に勤務していたと言うと、輜重兵にさせられ濾過機を管理、操作することになったようだ。
輜重兵は戦線に武器・弾薬や食料等を運搬する兵隊のことであるが、その役目の中に濾過機を使って水を供給する仕事もあったのだ。
軍歌では、「泥水すすり、草をかみ」とあるので、濾過機などないと思っていたが、調べてみると素焼きの管で濾過する石井式など濾過機はあったのだ。
水道局に勤務していたと言うだけで、多少でも濾過機や水質の知識があるように思われたのだろう。
敵襲があると、歩兵は反射的に銃を持ち戦線に展開するようで、「邪魔だ。後ろに下がっておれ。」と輜重兵は怒鳴られていたと言っていた。
お蔭で後ろから戦いの様子を眺めていたようで生死に関係するような恐ろしいことはなく、水道局に勤務していてよかったと言っていた。
一方、インパール作戦の生き残りもいて話を聞くと、同じ軍隊でも地域によって大きな差があり、運としか言いようがないと思った。
栗 田 資 夫
名古屋大空襲写真は名古屋大学HPより転載。石井式濾水機写真は悠遊・楽感雑記帳ブログより転載。悠遊・楽感雑記帳ブログはここから