井戸とマンボ
コロナウイルスが世界的に猛威をふるっている中、過去の世界でどの様な事態があったのか想定してみた。
20万年前、ホモサピエンスはアフリカ南部で進化し北上して中東で先に進化して広がったネアンデルタール人と接触したといわれている。
それ以来7千年から1万年位共存したといわれ、その証拠として我々のDNAにもネアンデルタール人のDNAが3%程度残っているといわれている。
その後、ホモサピエンスがネアンデルタール人より肉体的に劣っているにもかかわらず、ネアンデルタール人を滅ぼした理由について多くの学者の説がある。
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ホモサピエンスはネアンデルタール人よりも子供を産む能力が大きかった。また、ホモサピエンスは「知恵のある人」という意味でありホモサピエンスの方が、知的能力が優れており、動物を狩るための道具も優れていた。或いは組織能力が優れており、狩りや争いに強かった。等々挙げられているが確たる根拠は分かっていないようだ。
これまでホモサピエンスは長い歴史の中で飢餓、疫病、争いによって幾度となく危機を迎えている。ネアンデルタール人と共存した時は食料採取時代であり、争いもホモサピエンスが強かったのであれば疫病に対する対策は如何であったかと考えてしまう。
動物は水がなくては生きていくことができない。ホモサピエンスもネアンデルタール人も小さな水溜まりや湧き水、湖沼水、小川から大河川まであらゆる水源を求めて生活していたことは間違いない。
そうした中で、動物が体内に持つコロナウイルスや病原菌は動物の排せつ物等と共に体外に排出され水に混入して拡散するであろうことは容易に想像できる。
この汚染された水を飲んだネアンデルタール人もホモサピエンスも病になり多くの人を失ったであろう。
こうした状況は長い歴史の中で幾度か繰り返され湧き水を利用していた集団だけが生き残る確率が高いと気づいてきたのはホモサピエンスではなかったのではないだろうか。
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したがって、これもネアンデルタール人がホモサピエンスよりも早く滅びた原因の一つではなかったかと思われる。
このように知恵のあるホモサピエンスは、疾病は水に原因があることに気がつき、湧き水を得る努力を重ねてきたのだろう。
このために湧き水の需要が増えより多く得るため、湧出箇所を広げていき、さらに下へと掘り進んで広げていった結果、井戸が造られるようになったと思われる。
しかし当時の井戸は直接水を飲んだりして利用していたため、すり鉢状の物や階段状の物で直接水に触れることが出来るような地表面から浅いものと思われる。
その後、時代も進み生活道具や、掘削工具も進化する中で需要もさらに増加して深くする必要に迫られた。その結果、人が井戸の中に入って掘削し、周囲の井戸側(がわ)を補強しながら、深く掘り、釣瓶で汲み上げるような現在の形になったものだろう。
さらに、水が地表面に表れてない場所でも、地下に水脈がある場所を推定することができる能力が出来て井戸の数は増加していったものと思われる。
わが国では、江戸時代末期に上総掘りが発明され不透水層の下にも透水層があることを知り、不透水層を破壊して被圧地下水も利用するようになり深井戸の建設がされるようになっていった。
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現在、世界で一番古い井戸はシリア北東部ハブール平原のテル・セクル・アルアヘイマルにあり、約9000年前の新石器時代のものといわれ、直径2m、深さ4.5mのものであるが、ユーフラテス川の支流カブール川の傍に有ることを考えると水の不足のための井戸ではなく、水質のために掘ったものと考えられる。底には浄水祈願の円状配石遺構も認められ、また女性土偶も置かれており疫病を恐れた証ではないかと言われているようだ。
一方、傾斜地の側面から水が湧出している場合も、水の湧出する方向に掘り進んで行くとトンネル状に水路が出来てトンネルの周囲から水が湧出し多くの水を得ることができる。
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このような施設をわが国では「マンボ」と呼んでいる。その語源は定かではないが、金鉱を掘る坑道を「マブ」と呼んでおりこれが語源であると言う説や、オランダ語の「マンブウ」から出たものであると言う説が谷崎潤一郎の「細雪」に書かれているようである。いずれにしても、わが国のマンボは愛知・三重を中心に全国に散らばっており、生活用水や灌漑用水として利用されて来て、「間風」「間歩」「万堀」等と綴られてきた。
水道水源としてのマンボは桑名市の財閥・諸戸家が桑名市に寄付した諸戸水道が有名であるが現存しない。
農業用水としては各地に現存しており、東海地域では明和年間(1764~1772)に造られた、いなべ市大安町の延長1㎞の片樋まんぼが有名である。
わが国のマンボと同様のものが中東を中心に存在しているが、イランではカナート、アフガニスタン・パキスタンではカレーズ、北アフリカではフォガラと呼ばれている。
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この地域は一般的には砂漠地帯であるが、所々にオアシスがあり、木々も茂り人も住んでいたところである。
オアシスは砂漠地帯から遠く離れた山岳地帯に降った雨や雪が地下に浸透し遠く離れた砂漠地帯の低地部で湧出しオアシスとなったものであるが、地中における水の流れる速度は年間に数百メートルと言われ非常に遅い。
こうした事からオアシスの湧出箇所からトンネル状の水路を掘り、水を多く得ようと工夫したものであろう。
水路延長は100キロに及ぶものもあり、水路建設のため砂を上げる竪坑が50~100m間隔で掘られており、利用中に溜まった堆砂を排除するためにも利用されている。
これらの水路の存在の記録は3000年もさかのぼる事ができ、このことは安全で安心して利用されてきたことの証でもある。
栗田資夫
参考文献
サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ著