西欧における緩速ろ過池について
イギリス・ロンドンでは古くはテームズ河や浅井戸から直接水を汲んで利用していたが、13世紀になると市内に泉水が導水され水汲み場も出来るようになっていた。
16世紀の半ば、ロンドンが膨張し始めるとロンドンブリッジに水車が据え付けられテームズ河の水を汲み上げ市内に給水する水道会社も設立された。
しかしながら、人口の増加とともに河川も汚染され、取水地点は上流へ移転するようになり、地下水や他の河川からも取水するようになっていった。
このようにして、1800年代には各地区別に8つの水道会社が設立されており、その水源は5社がテームズ河、残り3社はおのおの、地下水、リー河と泉水、リー河であった。
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これらの河川から取水している会社は、年々汚染が深刻になるなか、河川の水を少しでも良質な水として供給しようと苦慮していた。
1825年テームズ河を水源とするチェルシー水道会社のジェイムス・シンプソンは砂層で河川水をろ過する実験を実施しており、1829年には緩速ろ過池を実用に供するようになった。
厚さ1.8mの砂、砂利層を通過させることにより透明な水を得ることが出来たのである。また、砂層が目詰まりを起こしても上部の砂を1~2cm掻き取ればろ過能力が回復することも分かったようである。
このように緩速ろ過池により、透明な水を得る事が出来ることがわかり、河川の汚濁が問題となっているヨーロッパの他の都市でも採用されるようになっていった。
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しかしながら、この時点では砂層により、濁質が除去され透明な水が得られることはわかっても、コレラなどの伝染病が細菌によるものだとはわかっていなかったし、まして、砂層表面に微生物などが形成するろ過膜が細菌など病原菌を除去する効果があるとは思いもよらなかった。
その後、ロバート・コッホが1882年に結核菌を、1884年にコレラ菌を発見して、伝染病が細菌によるものだという事がわかってきた。
1892年8月ドイツ・ハンブルクの街ではコレラが流行して、数週間の間に8500人が死亡するという事件が起きた。
当時ハンブルクの水道は街を流れるエルベ川の約5km上流で取水しており、河川水を沈殿させるだけで給水していた。また、下水道は屎尿を受け入れており固形物をスクリーンで除去するだけでエルベ河に放流していた。
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ところがハンブルクの下流にある街アルトナでもコレラはわずかに発生したが、その患者はハンブルクで仕事を持つ人達のみであった。また、ハンブルクでもアルトナの水道から給水されている地域だけはコレラ患者が出なかった。
アルトナの水道は1859年以来、河川の汚濁物質を除去するために緩速ろ過池による処理を行い給水していたのである。
このため、細菌学的検査が行われたが、エルベ河の水はコレラ菌に汚染されていたにもかかわらず、アルトナの水道からはコレラ菌は検出されなかった。
この事から緩速ろ過処理は濁質の除去のみならず、病原菌等の除去にも効果があることが判明して急速に採用され広がっていったのである。
三原市HP中の図を改変 |
緩速ろ過池は生物膜による濁質除去が主体であるので、濁度が高い(10度以上)場合は適さない。わが国のように雨天時に高度の濁水に見舞われる河川とは異なり、西欧の河川は緩流河川で、泥土に由来する濁質の少ないことから普通沈殿池と緩速ろ過池の組み合わせによる処理が向いていたこともあったと思われる。
日本でもハンブルク事件より早く、1887年(明治20年)に横浜市は相模川と道志川の合流点を取水場とし、そこに沈殿池を設けて40数km離れた野毛山浄水場に緩速ろ過池を採用しており、わが国の水道も西欧と同じ時期に進展し始めていた。
一方、1896年にはアメリカで急速ろ過池が開発された。この方式は前処理として、硫酸バンド等の凝集剤により水中の懸濁物をフロック化し、沈殿池と急速ろ過池によって捕捉するものである。
日本で最初に急速ろ過池を採用したのは1912年(明治45年)京都市の蹴上(けあげ)浄水場である。
西欧では急速ろ過方式が開発されると、濁度除去に関心のある浄水場では、用地に余裕がある場合は緩速ろ過池の前に急速ろ過池を採用して直列で処理したり、また、用地に余裕がなくても別の場所に急速ろ過池を建設して、水路等で緩速ろ過池へ送水して処理を行っている浄水場もあり、急速ろ過方式を採用しても緩速ろ過池と決別するような浄水場は少なかった。当然、新しく浄水場を建設しても、急速ろ過方式の後に緩速ろ過方式を採用している浄水場もある。
過去に筆者が視察したオランダ・アムステルダムのレイドウイン浄水場では急速ろ過池の後に、上屋の中の真っ暗な所に緩速ろ過池が設置されており、緩速ろ過池は生物処理で日光が必要だと考えていたが、常識を覆されたような思いがした。藻類の発生を抑えろ過継続時間を長くする効果があるようであるがよく理解出来なかった。
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これら急速ろ過方式と緩速ろ過方式を直列で併用する考え方は、急速ろ過方式によって高濁度の時でも濁質を除去できるので濁質の処理は急速ろ過方式に委ね、その他良くわかっていなかった溶解性物質については緩速ろ過池のろ過膜の働きで除去しようと期待したためだろう。
現在では緩速ろ過池で、懸濁物質や細菌のみでなく、アンモニア性窒素、臭気、鉄、マンガン、陰イオン界面活性剤、フェノールなどを除去できることが分かってきており、この選択は良かったものと思われる。
また、緩速ろ過処理を行うことで可能な限り生物学的な自然の浄化力に頼り、塩素等の薬品使用量も減少させることが出来たことから、少しでも薬品処理から離れるための適切な手段であったことは間違いないし、急速ろ過された水は濁質のない水であるので、緩速ろ過池の目詰まりが少なくなり効率的な運用が出来るのだろう。
現在では、限外ろ過膜や逆浸透膜などのろ過膜利用など新しいタイプの装置も取り入れているようであるが、依然として緩速ろ過池に対する信頼も強いようである。
これらは、ハンブルク事件を経験したことによる緩速ろ過方式に対する絶大な信頼と期待があったからではないかと思っている。
我が国水道の浄水施設は、一般的に緩速ろ過方式か急速ろ過方式かいずれかの方式により行われている。そして、濁質以外の水質で問題があったとしても活性炭処理、オゾン処理等の高度処理により水質基準内の水を得て給水している。
国際河川から取水しているところも多い西欧の水道と比較的水質の良い水を取水できる日本の水道との違いもあって、我が国と西欧では水処理に対する思想が異なることも興味深いものがある。
栗田資夫
参考文献 水道の思想 鯖田豊之
水道の文化 鯖田豊之
鍋屋上野浄水場の緩速ろ過池については こちら
緩速ろ過の前処理方法については こちら