下水道マンホール蓋物語

 映画、「ローマの休日」でグレゴリーペックが手を入れて抜けなくなった振りをした、教会の外壁に飾られていた石の彫刻「真実の口」ボッカ・デラ・ベリタは、元々教会の下水のマンホールのふたであったといわれています。このようにマンホールは古くから有ったものでしょう。

真実の口
真実の口

 わが国では、明治14年に横浜外人居留地で下水道が造られた時、最初に掃除穴としてマンホールが作られ、木製の格子形のふたがあったようで、この時横浜の下水道を設計した神奈川県技師三田善太郎氏がマンホールを「人孔」と訳したと言われております。
 そして、わが国最初の鋳鉄製のマンホール蓋は明治18年の神田下水の格子形のものが最初のだといわれ、平成12年まで神田岩本町に残存していたことが確認されております。

東京市型
東京市型

 現在のふたの原型は、明治から大正にかけて内務省の技師であり、東大でも教鞭をとっていた中島鋭治氏が明治37年から東京都の下水道を設計する時、西欧の丸型マンホールを参考に考案したようです。この模様は東京市型(写真)とよばれ、中島門下生が全国に散らばっていくとともに全国に広がって行ったのです。

名古屋市型
名古屋市型

 一方、名古屋市の創設当時の技師であった茂庭忠次郎氏が大正7年内務省に替わってから全国の下水道技術を指導した際、名古屋型を薦めたため名古屋市型(写真)も全国に広がりました。
 その後、昭和7年には金属の不足に対応するため森式(写真)と言われるコンクリート製のマンホールが出来て、支那事変以降戦時中に多用されましたがこのマンホールは例外というべきものでしょう。

森式
森式

 当初、材質は普通鋳鉄製で、構造的には「平受け構造」(図)と呼ばれるものでした。これは、ふたにかかる荷重を受枠からでたデッパリ(片持ち梁)で受けるため、ふたと受枠の隙間ができ、ふたが動いたりするためガタツキも大きなものでした。
 昭和33年になり、マンホールはJISで定められましたが、大阪市など大都市ではふたは独自の市の模様を定めて使用しておりました。
 昭和30年代後半からは車両も増加し大型になり、振動や損傷がしだいに問題になってきました。

平受
平受

 昭和40年代になり、材質の丈夫な合金ダクタイル鋳鉄が使用されるようになるとともにガタツキを防止する「勾配受け」(図)構造が開発され、ガタツキや破損のクレームは少なくなりました。それ以後、各都市の仕様やメーカー仕様のふたが混在して使用されてきました。
 昭和60年代になり建設省下水道部の係官が下水道事業のイメージアップと市民に下水を啓発するため、各市町村がオリジナルデザインマンホール蓋にすることを提唱してマンホール蓋のデザイン化が進みました。

 勾配受
勾配受

 これには、その都市の名所、旧跡、動物、植物、名産品、お祭りなど、あらゆるその特色を表すものが描かれ、さらに色づけされたものもありました。
 昭和61年以降、建設省下水道部の監修で「下水道マンホール蓋デザイン二十選」が選出されたりしたことから各都市で競うようにデザインマンホール蓋を作るようになっていきました。

 名古屋市では平成元年のデザイン博覧会の際、各都市の特色あるデザインマンホール蓋をあつめ、都市当てクイズなどを行なっており、終了後名城水処理センターに併設されている下水道科学館に展示してあります。
 また、この頃デザインマンホール蓋を写真に撮るなどするマニアが全国的に増加して話題になったこともありました。

下水道科学館
下水道科学館

 平成7年には日本全国に設置されている下水道のマンホール蓋は約1500万個以上と言われていましたが、トラックの大型化に伴い幹線道路では25トンに耐えられるように安全基準が改められました。改正以前に設置されているマンホール蓋も多く、耐用年数を過ぎたマンホール蓋もあるなか、その対応が問題になったこともありました。しかし、適切に対応されているのでしょうか、大きな事故を起こしたマンホール蓋もなく推移しているようです。
 下水道協会では下水道が重要なインフラであるにもかかわらずその機能や役割が正しく国民に知られていないこともあり、平成22年に下水道の真の価値を国民各層に知ってもらうために如何にすべきか、下水道に関わりのある業種や教育関係の委員を招いて研究会を設置し、その提言により業界・分野の枠を超えて産学官が連携して「下水道広報プラットホーム」(GKP)を発足させました。
 その活動の一環として地方公共団体がカード型の下水道広報ツールとして「マンホールカード」を発行することになったのです。マンホールカードはこれまで下水道に気にも止めなかった人々の関心の入り口としてもらい、マンホールの先にある下水道施設に興味を持って頂こうという狙いから平成28年4月にスタートしました。
 マンホールカードは縦88ミリ横63ミリの大きさでマンホール蓋の写真が印刷され、そのマンホールが設置されている位置情報(北緯・東経)も記されております。
 また、その数は現在557自治体717種に及んでおりますが、今後も増加していくものと思います。
 このマンホールカードは各都市において配布場所が決められており、そこに行かなければ得ることができませんが、多くが下水処理場や下水道科学館など都市により異なっております。
 また、GKPでは、毎年マンホールサミットを希望する都市で開催しており、マンホール蓋の思いを語るトークショーやマンホールカードの配布・マンホール関連グッズ販売などをして下水道のPRに努めております。
 今やマンホールカードはデザインが多種多様であるため、町を歩いて眺める人ばかりではなくカードを収集する「マンホーラ」と称する人々も現れ、さらに位置情報をもとに特定されたマンホールの写真を撮るために旅行する人もあるようです。人気なのは地元のマスコットキャラクターやアニメの主人公などですが、人によって自分の趣味に合わせて収集して楽しんでいるようです。
 平成29年には前橋市が撤去したマンホール蓋を1枚3000円で購入者を募ったところ、競争率は40倍を超えるような人気があったようです。
 その後、名古屋市等でもマンホール愛好者にマンホール蓋を売却しております。 また、茨城県石岡市や島根県吉賀町ではデザインマンホール蓋をふるさと納税の返礼品としている都市もあります。

東京都北区
東京都北区

 こうした人気にあやかって東京都北区では踏むと幸せになれるというマンホール蓋まで設置しております。今後若い男女が一緒に踏むと円満に結ばれるという縁起の良いマンホール蓋も出来るのではないでしょうか。そしてこれらは観光客誘致など地域おこしの手段として活用出来るかもしれません。
 また、名古屋市の名城水処理センター内の下水道科学館に国宝の姫路城や犬山城などお城のマンホール蓋を収集して展示すれば名実共に名城水処理センターになると思います。
 最近では、マンホール蓋は穴に落ちない、表面が滑り止めになっている、車両等が乗っても重圧にたえる、すべて丸である、などの理由から豊橋市をはじめ三河地方の都市ではマンホール蓋をデザインした合格祈願の御守りが作られ受験生に人気があるようです。
 海外旅行で色々な国のマンホールが見られますが、その都市の特長を表したマンホール蓋もあります。写真は塔で有名なチェコのプラハのマンホール蓋ですが、有名な塔をデザインしたものでしょう。しかし、日本のような色彩豊かなマンホールは見たことはありません。今やマンホール蓋は日本文化の一つになっているのではないでしょうか。

プラハ
プラハ

ブラチスラバ)
ブラチスラバ

 また、チェコの隣の国スロバキヤのブラチスラバの観光客が多い街角で写真のようなマンホールを見ました。マンホールの中で作業をしていた人が休憩で街を歩く観光客でも眺めているのでしょうか。芸術品なのか、単なる遊び心なのか分かりませんが、日本では公道でこのような工作物は造れないでしょう。粋な計らいに感心させられました。
 下水道の施設は都市には不可欠なものであり、巨大な社会資本です。今後ともこの維持には大変な資金と努力が必要になってきます。現在、関係者の努力でマンホール蓋に関心が集まっておりますが、その先の施設にも関心が行くまで一層の工夫が必要になってくるでしょう。

栗田資夫