竹千代の産湯井戸
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岡崎城本丸
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岡崎城産湯井戸
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天文11年(1542)12月26日、松平竹千代(後の徳川家康)は岡崎城内で誕生しました。その時に用いられた産湯井戸が岡崎城本丸の西北にあります。しっかりとした石組で保存されており、岡崎城を訪れる観光客が必ず立ち寄る名所の一つになっています。
竹千代の産湯はこの井戸だけではなく、ここから北東に約20km離れた豊田市松平地区の松平東照宮にある井戸からも運ばれて使われたことが記録に残されています。
松平東照宮
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松平地区は代々松平家が居住した山間の小集落で現在は松平郷として国の史跡に指定されています。
家康を祀った松平東照宮、松平家の菩提寺である高月院、松平城址などの史跡が点在し当時の面影を今に伝えています。
松平家の実質上の初代は親氏であり、戦国大名松平氏の基礎を築きました。
菩提寺となる高月院をはじめ多くの寺社仏閣を建立し貧しい領民には援助を惜しまなかったと言われています。
平成5年には「親氏公600年祭」を行い、「松平郷園地」として整備され室町塀、冠木門、親氏銅像などが造られております。
高月院
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竹千代の父は松平宗家8代当主広忠ですが、松平太郎左衛門家7代当主親長(ちかなが)が松平東照宮の井戸水を竹筒にいれて早馬で運んだとのことです。この井戸の水をわざわざ岡崎城まで届けたのは先祖代々産湯としてきた水の霊験を期待してのことでしょうか。
産湯井戸は当時のままの姿で残されており、家の屋根のような形の石の板で覆いがしてあり一見して井戸とは思えません。傍らの説明板によれば「石板の蓋のある井戸は当時としては極めて珍しいと言われている。石畳で囲い石段を下りて水を汲むようにできている」そうです。
松平東照宮井戸
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現在も非常においしく澄んだ水が湧き出るようで、年間を通じてさまざまなイベントに重要な役割を果たしています。
2月の「天下祭」はこの井戸の水で清めた水玉(木製の玉)を裸の厄男たちが奪い合うものであり、4月の「御例祭」では『お水取り』の神事をおこなって『御神水』として一般に授与しているとのことです。
説明板には「この御神水は不老長寿また安産するように遠くから来て拝受する人が多い。昨今では立身出世の神、政治の神、安産の神としての信仰があり、社務所でこの御神水を頂く人が年々増えている」とありました。
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松平東照宮への地図
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