十九女池
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十九女池
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関ヶ原の戦いで有名な岐阜県不破郡関ヶ原町は中山道の宿場町でした。
ここに「十九女池(つづらいけ)」という名の池があります。
この池には、こんな伝説が伝わっています。
十九女乃宮
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寛文7年(1667年)頃のこと、関ヶ原村の南に住む若者たちのところへ、夜になると時々現れる美しい娘がいました。その娘は、若者たちにお椀を借りにきたり、横笛を吹いて歩いたりしておりました。若者たちは、きれいな笛の音にさそわれるように、それぞれ胸をときめかせ、娘の来るのを楽しみに待っていました。しかし、どうしたことか、娘がどこにすんでいるのかを知るものは誰もいませんでした。
ある日のこと、一人の若者が、返されたお椀が生臭いことに気づき、不審に思っていると、ふと十九女池の波の音が聞こえました。
若者は、もしや、娘は十九女池の大蛇の化身ではないかと思い恐ろしくなりました。
十九女池
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そして、つぎに娘がお椀をかりにきた時、お椀の底に縫い針をさしておきました。大蛇は金物が大嫌いなので、ためしたのでした。案の定、翌日からは、ぱたりと娘の姿が見えなくなりました。
それからしばらくして、「縁あって、遠くへまいります。十九女」と書いた短冊と横笛がその若者の家の入り口においてありました。
その後、この池を「十九女池」と呼ぶようになりました。
ほかに、領主「竹中家」の「横笛記」には、こんな話も載っています。
「或夜宿中の合川家へ娘来たり横笛を出して、これを買えという、
合川氏これを求め「何処へ帰る」と問うに「池へ」と答える。
奇異に思い後を追うに十九屋と云う池のあたりで、消えしという、
その後この池を十九女池と云うようになった。」
新幹線が池を横断している
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現在、お椀は法忍寺に、横笛は後「ほととぎす」と銘がつけられて八幡社の社宝となって残っています。
地元の人に話を聞くと、子供だった頃の十九女池は、木がうっそうと茂り日中でも薄暗く、黒ずんだ水の中に大蛇が住んでいても不思議ではないほど不気味な池だったそうです。
今は新幹線が池を横切り、明るく開けたところに変わっていました。池の回りには遊歩道が整備され、老夫婦が散歩されている姿を見ることができました。水草の浮かんだ水面や、まわりの林を眺めながら一周すると15分ほど、とても気持ちのいい散歩道でした。たまたま通り過ぎる新幹線のごう音が消えると、あたりの静寂が一層深まり、小鳥のさえずりが美しく聞こえました。
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十九女池への地図
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