狭井神社(奈良県)の薬井戸

大神神社
大神神社

 奈良県桜井市に薬の神様として信仰される狭井神社(さいじんじゃ)があり、拝殿脇にはその水を飲めば諸病から救われるという「薬井戸」があります。
 初夏の奈良、三輪の地を訪れてその井戸を取材しました。
 この辺りは「大和は国のまほろば」といわれたように、古く大和の文化発祥の地で、政治・経済・文化の中心地でした。
 現在の桜井市から天理市、奈良市へ通じる「山の辺の道」は日本最古の産業道路といわれ、三輪の地はこの南端に位置する交通の要衝でした。

山の辺の道
山の辺の道

 山の辺の道に沿って大小の古墳が点在し、この地方独特の景観を形づくっております。
 入手した観光マップにはわずか15キロメートルの道の両側に50か所以上の古墳が記されており、当時の様子がうかがえます。
 狭井神社は大神神社(おおみわじんじゃ)の末社で境内の奥まった所にあり、先ずは大神神社の参拝です。
 最寄り駅のJR桜井線三輪駅を降りると目の前が大神神社の二の鳥居で参道が続きます。
 近年、パワースポットとして若い人にも人気が高いようで大勢の若者が参拝しています。我々老人グループも静かな木立の中での参拝でパワースポットの恩恵に与かることを期待しておりましたが雰囲気が少し予想と違っていました。我々が訪れた日はちょうど毎月1日に行われる「朔日詣り(ついたちまいり)」と「月次祭(つきなみさい)」で参道の両側には露店が立ち並び大勢の人出で賑やかな参拝となりました。

三輪山
三輪山

1 三輪山
 三輪山は昔から「倭青垣山(やまとあおがきやま)」とも呼ばれた高さ467メートルの秀麗な山で古くから万葉集をはじめ諸々の歌集に詠われ、山そのものに神霊がお鎮まりになる、いわゆる神体山として崇められてきました
 昔は入山禁止でしたが現在は特別の許可を受けて登拝できます。ハイキングとは違い写真撮影や水以外の飲食が禁止されるなど厳しい約束事があり、敬虔な心での入山が求められています。
2 大神神社
 大神神社はその創祀に関わる伝承が「古事記」や「日本書紀」の神話に記されています。
 その伝承から三輪山全体を神体山としており、拝殿のみで本殿を持たない、上代の信仰のかたちをそのまま今に伝える我が国最古の神社といわれています。
 大和国一の宮であり、三輪明神ともよばれます。

神杉
神杉

 以下神社の由緒から抜粋します。
 「当神社の神体山三輪山に鎮り座すご祭神大物主大神(おおものぬしのおおかみ)は、世に大国主神(おおくにぬしかみ)(大国様(だいこくさま))の御名で広く知られる国土開拓の神様であり、(中略)古典の伝えによれば、神代の昔、少彦名命(すくなひこなのみこと)と協力してこの国土を拓き、農、工、商業、すべての産業開発、方除(ほうよけ)、治病、禁厭(まじない)、造酒、製薬、交通、航海、縁結び等、世の中の幸福を増進することを計られた人間生活の守護神であらせられます。(以下省略)」

くすり道
くすり道

 参道を進むと祓戸(はらえど)神社があり、まず体と心を清めてくださる神様にお参りします。一番奥に国重要文化財の拝殿と三ツ鳥居があり、ここからご神体の三輪山を拝むことになります。
 また、三輪の大物主大神の化身の白蛇がすむことから巳の神杉と名づけられたご神木が境内にあり蛇の好物の卵などが参拝者によってたくさん供えられていました。
 大物主大神が人間生活すべての守護神ということで境内にはさまざまな霊験をもつ末社が散在しています。
 参道から左に入ってくすり道と名付けられたゆるい坂道を上がると、今回我々が目指す狭井神社と薬井戸があります。
3 狭井神社
 垂仁天皇の御代に創建されたと伝わり、ご祭神の荒魂(あらみたま)を祀る延喜式内社です。力強いご神威から病気平癒・神体健康の神様として信仰が篤く、4月18日の鎮花祭(はなしずめのまつり)は、大宝律令(701年)に国家の祭祀として大神神社とこの神社で行うことが規定された厄病除けの祭で、多くの医薬業者が参列する「薬まつり」として有名です。

薬井戸
薬井戸

4 薬井戸
 狭井神社拝殿脇には万病に効くという水が湧き出る井戸があります。
 これは神体山、三輪山から湧き出たご霊水で、古くから霊験あらたかな「くすり水」として病気平癒、身体健康、福寿延命など願いを込めて毎日水を汲みに来る人が後を絶たないとのことです。
 井戸とは言っても外観は石造りの球形の貯水タンクの周囲に数か所の蛇口をつけて金属のボタンを押すと水が出る仕組みになっており、現代風に改造されたものでした。
 我々も多くの参拝者に混じって備え付けのステンレス製のマグカップでご霊水をいただき、持参のペットボトル1本分お土産用に詰めました。
 近頃は健康にいいとしてさまざまなミネラルウォーターが販売されています。
 種類も「アルカリイオン水」、「海洋深層水」、最近では「水素水」など枚挙にいとまがありません。販売開始以来40年余で年間消費量は30倍以上になったとの統計もあります。いつの世も身体にいい水は魅力的ですが必ずしもその効果を示して販売しているとは思えません。
 筆者はペットボトルに名古屋市の水道水を詰めて持ち歩くことが多いのですが、狭井神社の薬井戸の水は神様からいただいた大切な水であり、飲むことで神様の力を身体に取り込むことができると千年以上にわたって多くの人が汲み続けてきたことを思うとやはり特別な霊験を感ぜずにはいられませんでした。

三輪そうめんの店
三輪そうめんの店

5 余談・三輪そうめんの由来
 奈良時代に大神神社の神主であった大神朝臣狭井久佐(おおみわのあそんさいくさ)の次男、穀主(たねぬし)が穀物の栽培に心をくだいて三輪の地に適した小麦の栽培をおこない、小麦と三輪山の清流で素麺作りを始めたとされています。その後、江戸時代の《日本山海名物図絵》にも紹介され三輪神社参拝の多くの旅人から三輪そうめんの美味が口づてに広まったとのことです。
 我々も二の鳥居脇にある「森正」という由緒ある古民家を利用したと思われるお店でいただきました。雰囲気も良く、現地で味わう三輪そうめんは一味も二味も違いました。

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大神神社と狭井神社への地図

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