名古屋市西区 蛇池

蛇池
蛇池

 庄内川緑地内に龍神社が祀られた直径100メートルほどの蛇池があります。

 龍神社は明治42年(1909年)、40日以上続いた干ばつにたいして光通寺の住職が雨乞いをおこない、その大願当日に大雨となったことから、龍神に感謝した村民により建立されたものです。なお現在の拝殿は昭和38年(1963年)に建て直されたものです。
 蛇池のほとりにあることから蛇池神社として知られています。


龍神社

 この池には大蛇にまつわる二つの伝説が語り継がれています。

「信長様と蛇池」
 永禄2年(1559)の夏、清洲城主織田信長は城下の村人から山田村の池に大蛇がでたという話を聞きました。早速村人たちを集めて大蛇を退治するために池の水をかいださせました。見守る信長は池の水位がいっこうに下がらないのに業を煮やして自ら裸になり刀をくわえて池に飛び込みました。しかしその日は見つからず諦めきれない信長はさらに10日間ほど池を干し続けましたが結局大蛇は現れませんでした。
 その後この池は蛇池と呼ばれるようになったとのことです。
 信長の気性の激しさと何事にも徹底しておこなう性格を伝える話です。


蛇池公園

「大蛇のおんがえし」
 昔名古屋の堀詰にあったお店の主人、惣右衛門さんが身重のおかみさんと山田村の池のそばを通りかかりますと子供たちが蛇をつかまえて遊んでいました。惣右衛門さんとおかみさんはかわいそうだからと助けてあげました。それから何日かたって2月7日に元気な男の赤ちゃんが生まれました。しかしおかみさんは産後の肥立ちが悪く、3日目になくなってしまいました。惣右衛門さんが困り果てているとお葬式のすんだ夜、一人の女の人が店に現れました。
「私は池の近くに住むものでおしまと申します。赤ちゃんのことでお困りと聞きました。この子が三つになるまでどうぞ私に育てさせてください。」惣右衛門さんは喜んでお願いしました。男の子はおしまさんにかわいがられてすくすくと育ち3年がたちました。「今日は2月7日、お約束どおりおいとまします」と言い、おしまさんは惣右衛門さんがどんなにひきとめてもきかず帰りました。店の番頭さんが池の近くまで送っていき振り返ると大蛇が悲しそうに池に入っていくのが見えました。番頭さんが驚いて惣右衛門さんにそのことを話しました。「あの人は池にすむ大蛇だったのか。いつか助けてやった蛇がそのお礼にきてくれたのか。そうだあの人の好きな赤飯をそなえてあげることにしよう。」
 このときから2月7日には池の真ん中まで舟で出てお櫃に入れた赤飯を池に流すまつりが始まりました。今でも4月第2日曜日に「櫃流し神事」がおこなわれています。

 この伝説は、公益財団法人「愛知県教育振興会」の発行する小中学校用副読本「大蛇のおんがえし」にとりあげられています。


蛇池公園の桜

 蛇池の周囲には桜が植えられ、周囲は蛇池公園として整備されていて野球場、テニスコートが整備されています。現在の姿からは大蛇が住む池との想像は難しく、当時はもっと大きく、雰囲気のある池だったのでしょう。

 

蛇池への地図

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