今池界隈 名古屋市千種区

日泰寺
日泰寺

1.覚王山日泰寺の龍神石
 名古屋市水道局が昭和50年に発行した「水道クォータリー」の第一号に『「真清田の竜神」 覚王山に雨乞いの竜神石が・・・・』という見出しで紹介されている記事があります。

大正時代の今池付近地図
大正9年の今池付近地図

 当時の取材では覚王山の尾張第三弘法第二番札所のお堂のなかには竜神石があり、「口をあけているようでもあり、にらんでいるようでもある」と記されており、どのようなものか興味深いので改めて取材しました。
 真清田神社史(1995年)によれば龍神伝説はおおむね次のような内容です。
「当地ではかって干ばつが起こり、困窮した人々を救うため、弘法大師が雨乞いをしたが効果がなかった。
 そこに一頭の龍が現れた。龍は、雨を降らせるためには、自分あるいは他の龍の命が必要になると弘法大師に伝えた。
 そこで弘法大師はその龍へ人民のために命を差し出してほしいと懇願した。その引き換えにあなたを真清田神社に祀ると約束をしたところ、龍は承諾した。やがて激しい大雨が降りだし、黒雲の中から龍の体が切れ切れになって落ちてきた。弘法大師は約束通りその龍を神として真清田神社に祀った。」
 この龍神は龍神石として一宮市の真清田神社内の神池に鎮座する厳島神社に祀られましたが、明治2年(1869年)明治維新による廃仏毀釈により真清田神社から流出し、その後さまざまな人に譲渡された後に昭和5年、(1930年)日泰寺に移されたとのことです。
 私たち取材班は令和元年5月に日泰寺に赴き、現地を確認しましたがそれらしきものは見当たりませんでした。
 寺務所の方に確認したところ、龍神石は部外者の持ち込んだもので日泰寺としては関知しておらず、存在の有無はわからないとの回答でした。しかし祠は東門出口付近にあるとも教えていただきました。

竜神石
龍神石のスケッチ

 そこには「真清田弘法大師縁起」の木製の説明板があり、「御神殿に奉安せるは昔弘法大師巡錫(じゅんしゃく)の砌(みぎり)、尾張一の宮真清田神社に崇納し奉る念持石にして真清田神社の御神体なり 明治維新廃仏毀釈の際神社より分離し爾来窃(せつ:ひそか)に護持し其の縁由により真清田弘法と称すれども・・・・・」と記してあり、日泰寺にあったことの確証は得られました。
 その後調べたところ、龍神石は昭和61年に日泰寺から真清田神社に返還され、平成元年には八龍神社が建立されて神体石として祀られるようになったとのことです。 現在では御開帳はなく、関係者も見たことがないそうです。
 以前は見られたのに残念!とWeb上で更に検索したところ、「真清田神社江戸時代の神宝と流出」の著者、森徳一郎氏が厨子に納められた龍神石を昭和5年に拝観しスケッチしたものが残されていました。

2.池下町の龍神大明神
 昔、地下鉄池下駅付近は古井(こい)村と呼ばれ、名古屋城下から外れた荒地で農業に必要な水を引く河川もなく、水田には適さない土地でした。

龍神大明神
龍神大明神

 そんな中、尾張藩士で大庄屋であった兼松源蔵という人が、南北200メートル、東西100メートルの大きなため池を築造し付近一帯を名古屋新田として開拓をしました。万治年間(1658~1680年)のことでした。
 この池は周囲にたくさんの蝮が生息していたため蝮池と呼ばれていました。
大正10年(1921年)、この辺りも人が増え宅地化するために蝮池が埋め立てられることになりました。
 しかしその工事中関係者の事故が相次ぎ責任者が倒れ、これはまずいということで池の主とされる龍神を祀ることにしました。また念のために水にゆかりの深い市杵島姫(いちきしまひめ:弁天神)も並べて祀ることとしました。
 こうして工事は無事終了しました。
 現在池下駅のすぐ西北の三角地に立つ小さな神社が龍神大明神で境内の小さな池は蝮池の名残だそうです。

3.今池の光正院 弁慶の井戸
 今池から広小路通りを西へ300メートルのところに光正院(こうしょういん)というお寺があります。

光正院
光正院

 言い伝えによると弁慶が掘った井戸が今も残っているとのことなので取材をしました。
 門前の説明文によると「永正10年(1513年)、僧来鳳の創建といわれ釈迦仏を本尊として安置する。昔弁慶が当寺に居住して手掘りで井戸を掘り、その清水で主君義経の武運を祈願し、大般若経50巻を書き写したと伝える。名古屋市教育委員会」とあります。
 繁華な町中にあり敷地もさほど広くないお寺の境内で井戸を探しましたが見当たりません。寺務所に寄って尋ねると住職が出られて、この中にありますがほとんど公開したことがないのでと言いつつも、どうぞと案内されましたので靴を脱いで中へ。普通の住宅風の建物から一部屋庭に突き出したような事務室に入ると中央に大きな執務机があり、その奥に床に置かれた白木製の大きな箱が目に入ります。その上の壁に作られた神棚には毘沙門天像が ???

井戸調査中 井戸調査中 弁慶の井戸 弁慶の井戸

 四人がかりでその大きな箱をずらし、下の床の厚い木板を外すと井戸が現れました。真っ暗で深さもよく分かりませんが、現在、水はなく地下鉄工事で水が枯れたと言っておられました。
庭にあった井戸を建物の増築の際に部屋に取り込んで保存したと思われますが、こうして大切に残されている井戸を見せていただき、住職に感謝いたします。
この寺から20mと離れないところに「古井の水」で有名な高牟神社があります。ここの手水舎にはきれいな水が溢れ、近所の人がペットボトルに汲んでいました。このあたりは昔から地下水が豊富なところだったのでしょう。

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今池付近の地図

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