円空の鉈

資料館
羽島円空資料館
円空産湯の井戸
円空産湯の井戸

 「円空」は、諸国を回りながら、鉈彫りによる素朴な仏像を各地に残してきました。その数は12万体ともいわれています。そして人々からは、今釈迦、今行基、エンク様、お上人さんと仰ぎ呼ばれてきました。

 その円空の生誕の地は、木曽川と長良川にはさまれた桑原輪中(今の岐阜県羽島市上中町)の中観音堂付近といわれています。この観音堂には、円空が彫刻した十一面観音像が本尊として祀られています。その他にも10数体の円空仏が祀られています。また、駐車場の横には円空の産湯の井戸があります。
 この本尊である十一面観音にまつわるこんな伝説が残っています。

十一面観音像
十一面観音像

 寛文9年(1669)の夏、円空は母の供養のため生誕地に帰ってきて、村はずれのお堂で背丈ほどもある観音さまを彫り始めました。
 外は、雨が何日も前から降り続き、川の濁流はゴウゴウと大地を鳴らし、日に日に勢いを増してきました。そして夕方には、半鐘が鳴り響きました。洪水です。円空は、昔に起こった洪水のことを思い出しました。

 輪中には、洪水の時に逃げ込む、石を盛り上げて高くした小さな丘がありました。
 「どいた、どいた、この丘はわしらが造ったものじゃ」。
 暮らしが裕福でなく、働くことで精一杯な母子には、その丘を造るための手伝いをする余裕などありませんでした。
「お願いじゃ、この子だけでも助けてくれ」。
 母親は円空を丘に上げ、自分は胸まで水に浸かりながら石にしがみつきました。しかし、濁流に母親は流されてしまいました。

 円空は、おぼろげながらも覚えている、そんな母の顔を思い出しては、十一面観音に鉈をふるいました。そして、掘り上がった観音様を背負い、海のように広がった木曽川にひざまずいて念仏を唱えると、いつのまにか雨が止み、観音さまの足元からみるみる水が引いていきました。

観音堂
観音堂内

 村人の頼みにより、この観音さまが村の守り仏として祀られるようになりました。
 円空は、観音さまの背をくりぬいて、今までずっと使ってきた鉈をおさめ、静かに村を後にしました。

 広場から階段を上がった2階に観音堂がありました。地区の人が毎日交代でこの観音堂をお守りしておられました。
 拝観料を払って中にはいると円空仏が並んでいました。なかでも高さが2.22mもある十一面観音は、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていて、子を思う母親の心が表れているようでした。

館内
資料館内

 伝説のように十一面観音には、背中にくりぬいたあとがあります。その中には、鉈が納めてあるとか、母親の遺品が納めてあるとか伝えられています。しかし、これを見ると目が見えなくなるという噂があり、今までだれも見たことがないそうです。

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観音堂への地図

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