尻冷し地藏と助けの井戸

尻冷し地藏全体
尻冷し地藏

 昔、敵に追われた手負いの武士が、清水で傷口を洗い、のどをうるおしていたところ、不運にも追っ手に討たれてしまいました。

 土地の人々はこの武士を供養するため、清水の湧きでている上に地蔵尊を建てたと伝えられています。

 正保4年(1647年)と刻まれている石仏の下から水がわき出ているので「尻冷し地蔵」と呼び、信仰の対象になりました。

「尻冷し 地藏はここに いつまでも
    しりやけ猿の こころではなし」

 江戸時代、尾張名古屋の俳人横井也有がここを通りかかり、読んだ狂句が残されています。
 石板に浮き彫りした地蔵の前には石造りの水槽があり、きれいな水が注ぎ込んでいました。

 取材の時には見かけなかったが参拝者があるようで、椅子が置かれ、新しい花が供えられていました。
 水槽の水をかけるのだろうか、地蔵尊はうっすらと濡れていました。8月24日の地蔵盆には子供相撲も奉納されるようです。


 「助けの井戸」は、賜恩山退休寺山門前の民家の軒先にあります。退休寺は、尾張徳川家の家老小野沢五郎兵衛が隠居して建立した寺。

尻冷し地藏
助けの井

 このあたりは高地で水の便が悪く、日照りには百姓が困り、街道を行く旅人も飲み水に困りました。
 五郎兵衛は、門前に、今までにない深い井戸を掘って使わせました。近くの主婦の話では深さが11間(約20m )あるそうです。

 「尻冷し地蔵」「助けの井戸」ともに春日井市内の旧下街道沿いにあります。
 「尻冷し地蔵」は春日井市指定文化財になっています。

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住所:(尻冷し地藏)
    愛知県春日井市大泉町443
   (賜恩山退休寺)
    愛知県春日井市大泉町1028

尻冷し地藏・助けの井戸の地図

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賜恩山退休寺
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