孝 池 水

孝池水全景
孝池水

 昔々のこと、今の岐阜県下呂町門原に江州(現在の滋賀県)の由緒ある家の子供で門原左近という人が母親と一緒に住んでいました。
 左近はとても親孝行でした。たまたま母親が重病にかかったため、寝食を忘れて看病しました。
 そうしたある日、左近は母親に「何か欲しいものはないか」とたずねたところ、母親は「故郷の琵琶湖の水が飲みたい」と望みました。
 左近はすぐさま出かけ、琵琶湖の水を汲んで急いで帰る途中、今の下呂町瀬戸の地で母親の死を聞き、悲しみのあまり水のこぼれるのも知らず泣き伏しました。
 この時こぼれた水が池となり、今に残る孝池水となったと伝えられています。

 この池の水の色は琵琶湖の水の色と同じだといわれ、近くを流れる益田川が濁ってもこの池の水だけは澄んでおり、大干ばつでもこの池の水はかれることがないそうです。
 また、左近は晩年門原にある屏風岩の岩壁に住んでいましたが、自分の死が近いことを悟ると、里人に「私はこの地を去るが、毎年この地を訪れるであろう。その際は大石を山より落として、私が来たことを知らせるが、決して人や物を傷つけることはしない」と言い残して世を去りました。その後、ときおり大小の石が屏風岩から崩れ落ちることがあったが、今だかって災いを受けたものはないといわれています。
 屏風岩の近くに門原左近を祀った左近神社があり、過去の戦役では兵士の身の安全のため全国からよりの祈願も多く、また危険な職業に就いている人やドライバーの信仰を集めています。

孝池水
屏風岩
屏風岩

 取材の日は朝8時に市役所を出発しました。高山観光のメインルートだった国道41号線は、東海北陸自動車道が開通したためか、車の数もずいぶん減って、渋滞することもなく1時間半ほどで飛騨金山(下呂市金山町)に着くことができました。ここから馬瀬川に沿って30分も行くと名古屋市の水瓶である岩屋ダム(東仙峡・金山湖)があります。我々はそのまま飛騨川に沿って41号線をさかのぼりました。名勝中山七里の真ん中あたり、JR焼石駅の近くにある瀬戸発電所に隣接して孝池水がありました。広い駐車場があり、池の周りは散策路が整備されていました。大きな池でたくさんの鯉が群れをなしていました。 そこから車で数分の所に、まるで国道に覆いかぶるように幅約200m、高さ約80mの屏風岩がそびえています。

 屏風岩がおわったあたりに簡素な左近神社がありました。国道の改修で社殿を移築したと記されていました。
 飛騨金山には高木酒造という造り酒屋があり、「孝池水」という銘柄のお酒を販売しておりました。

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住所:岐阜県下呂市瀬戸

孝池水・左近神社への地図

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門原神明神社
門原神明社