豊明市 霊泉安産水

沓掛城址公園
沓掛城址公園
一之御前社
一之御前社


 豊明市にある一之御前社には安産水として有名な霊泉があります。
 伝説によれば、「室町時代末期、沓掛城主8代目近藤伊景の姫君が後奈良天皇の宮女として仕えていたが御懐妊、郷里の明知(現みよし市三好町)に帰る途中、菩提寺の祐福寺に参詣しようとしてその途次に清水が湧き出ているのを見てこれを飲み、渇きをいやしたところ安産することができた」と伝えられています。
 今でも産婦が安産を願って遠近からこの清水をもらいに来るということです。

祐福寺
祐福寺

 一之御前社の境内入口に立派な土塀があり、その中に霊泉があるのですが、石板で蓋をした石櫃が見られるだけで水の湧き出るところは見られませんでした。
 石櫃には正徳2年(1529)と記されているそうです。
 沓掛城はこの一之御前社から西に500メートルほどの位置にあります。
 永禄3年(1560)桶狭間の戦いの前夜、今川義元が投宿し軍議を開いた城として有名です。
 沓掛城は正中2年(1325)に近藤宗光が築城し、代々近藤家が居城しました。

一之御前社の境内入口の立派な土塀
一之御前社の境内入口付近の土塀

 9代目景春のときに戦国時代をむかえます。松平広忠の家臣でありましたが時代とともに織田信秀、今川義元の配下にはいり、最後は織田氏に討たれて近藤家の支配は終わりました。
 その後城主が入れ替わり、慶長5年(1600年)川口久助が城主のとき関ヶ原の戦いで西軍に参陣し敗戦、沓掛城は廃城となりました。
 昭和56年から59年にかけて発掘、調査が行われ、多くの遺構、遺物が発見されました。
 現在は「沓掛城址公園」として整備され、本丸とそれを取り巻くお堀が残されており、桜の名所として市民に親しまれております。

沓掛城址公園
沓掛城址公園






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豊明市一之御前社周辺地図

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